■昼:茄子ひき肉はさみ揚げ弁当・飯1/2弱残し(田中酒店)
■夜:遊庵にて冷やしトマト・茹で海老・鳥皮ぽん酢・冷やしトマト・つくね・
鳥わさ・砂肝唐揚・たこ辛い揚・盛蕎麦・生ビール・サントリーロイrヤルストレート
■まあ、ボチボチですわ。笑。午後は9.17台本の相方友人紹介文構成。
夕方、妙に空が赤かった。岐阜在住のTちゃんに別件でTELすると「空が赤いよ」…日本は狭い。
かろうじて入れた遊庵(いつからこんな人気店になりやがった?)で
ボトルキープしたサントリーロイヤル(もう焼酎ロックが辛くって…)を飲みながら
相変わらず旨い肴をつまむ。ダイエット小休止で至福の時。明日も雨で歩けないかも。
ちょいと店に寄ってメールチェックして、本屋でBlog関係の本買って(悪企み中)、
23:00前に帰宅。急いでシャワー浴びて上がってこれ書いて「社長行状記」少し観て
25:00気絶。今日はこの辺でごかんべんを。そば屋でウィスキーは、まっこと効くぜよ。
■朝、実家からTEL、クリ永眠。ふーっ。覚悟していたもののなんともいえない気持ち。
遅かれ早かれこうなることは予め宣告されていたのだし、母親をはじめ各人が
できる範囲でベストを尽くしての結果だから、後悔の念はないはずだが…。
なにせいかんせん可愛いすぎたんだよなあ。先週土曜日に朝夕2回も、それこそ
最期の力を振り絞って私のヒザに上ってこようと必死に立ち上がるあの姿は
当分の間この目に焼きついて離れそうにない。ここは天寿を全うしたと決め付けて
合掌する他はないのだ。しかし27年間累計20匹超の飼猫の中で、こんなにも
辛い思いで見送った猫はいない。思えば10年前、私が最悪の精神状態のときに
他の5匹とともに誕生したクリには、それ以来、実家に帰るたびに癒され続けてきた。
彼女にしてみれば単なる条件反射だったのかもしれないが、たとえば私が
自分の胸を叩いて「だっこ?」と聞くと、すぐ飛び乗っておとなしく抱かれていたり、
実家が転居してからも、たまに訪問して帰るときに、それまで全く知らん顔だったのに
「バイバイ」と声をかけると「ニャー」と挨拶してくれたりと、なんとも愛くるしい彼女との
思い出は尽きない。今や相方が撮ってくれた写真だけが往時を物語ってくれる。
■その一方で私は、大切な人がガンで日々衰えていく様を見つめ続けた経験がない。
日々の衰えが如実な病人を励まし続け、最期まで何も知らせずに見送るという、
自分にとっても、また相手にとっても、ある種精神的に極めて残酷な演技が、
いざ自分の身に降りかかってきたときに果たして可能なのかという命題に対して、
クリの末期的症状ならびに死に様、及び周囲の献身的看病が、何らかの示唆を
与えてくれたような気がしてならない。すべては平常の如く淡々と・粛々と、それでいて
一瞬々が一期一会の如く、あらん限りの愛情を込めて。後悔の残らないように全力で。
■47歳の大の男が少々みっともないが、ありがとう、クリちゃん。またいつか逢おうね。
愛犬・ボン逝去の折のあなたの落胆が、今になってやっと理解できました、Yちゃん。
【2017.11.30 追記】
文中の予言?通り、この7年半後に尿管がん・膀胱がんにおかされた親父を見送った。
もっとも彼は自分の死期を悟っていたようで、終始淡々としていて、
誰にも見取られず早朝に一人逝った。
まさに「死ぬときはひとり」を体現したようで、
わが親ながら、実に立派だったと思う。
■夜:遊庵にて冷やしトマト・茹で海老・鳥皮ぽん酢・冷やしトマト・つくね・
鳥わさ・砂肝唐揚・たこ辛い揚・盛蕎麦・生ビール・サントリーロイrヤルストレート
■まあ、ボチボチですわ。笑。午後は9.17台本の相方友人紹介文構成。
夕方、妙に空が赤かった。岐阜在住のTちゃんに別件でTELすると「空が赤いよ」…日本は狭い。
かろうじて入れた遊庵(いつからこんな人気店になりやがった?)で
ボトルキープしたサントリーロイヤル(もう焼酎ロックが辛くって…)を飲みながら
相変わらず旨い肴をつまむ。ダイエット小休止で至福の時。明日も雨で歩けないかも。
ちょいと店に寄ってメールチェックして、本屋でBlog関係の本買って(悪企み中)、
23:00前に帰宅。急いでシャワー浴びて上がってこれ書いて「社長行状記」少し観て
25:00気絶。今日はこの辺でごかんべんを。そば屋でウィスキーは、まっこと効くぜよ。
■朝、実家からTEL、クリ永眠。ふーっ。覚悟していたもののなんともいえない気持ち。
遅かれ早かれこうなることは予め宣告されていたのだし、母親をはじめ各人が
できる範囲でベストを尽くしての結果だから、後悔の念はないはずだが…。
なにせいかんせん可愛いすぎたんだよなあ。先週土曜日に朝夕2回も、それこそ
最期の力を振り絞って私のヒザに上ってこようと必死に立ち上がるあの姿は
当分の間この目に焼きついて離れそうにない。ここは天寿を全うしたと決め付けて
合掌する他はないのだ。しかし27年間累計20匹超の飼猫の中で、こんなにも
辛い思いで見送った猫はいない。思えば10年前、私が最悪の精神状態のときに
他の5匹とともに誕生したクリには、それ以来、実家に帰るたびに癒され続けてきた。
彼女にしてみれば単なる条件反射だったのかもしれないが、たとえば私が
自分の胸を叩いて「だっこ?」と聞くと、すぐ飛び乗っておとなしく抱かれていたり、
実家が転居してからも、たまに訪問して帰るときに、それまで全く知らん顔だったのに
「バイバイ」と声をかけると「ニャー」と挨拶してくれたりと、なんとも愛くるしい彼女との
思い出は尽きない。今や相方が撮ってくれた写真だけが往時を物語ってくれる。
■その一方で私は、大切な人がガンで日々衰えていく様を見つめ続けた経験がない。
日々の衰えが如実な病人を励まし続け、最期まで何も知らせずに見送るという、
自分にとっても、また相手にとっても、ある種精神的に極めて残酷な演技が、
いざ自分の身に降りかかってきたときに果たして可能なのかという命題に対して、
クリの末期的症状ならびに死に様、及び周囲の献身的看病が、何らかの示唆を
与えてくれたような気がしてならない。すべては平常の如く淡々と・粛々と、それでいて
一瞬々が一期一会の如く、あらん限りの愛情を込めて。後悔の残らないように全力で。
■47歳の大の男が少々みっともないが、ありがとう、クリちゃん。またいつか逢おうね。
愛犬・ボン逝去の折のあなたの落胆が、今になってやっと理解できました、Yちゃん。
【2017.11.30 追記】
文中の予言?通り、この7年半後に尿管がん・膀胱がんにおかされた親父を見送った。
もっとも彼は自分の死期を悟っていたようで、終始淡々としていて、
誰にも見取られず早朝に一人逝った。
まさに「死ぬときはひとり」を体現したようで、
わが親ながら、実に立派だったと思う。